2025年11月。
漫画界に静かな悲しみが広がりました。
社会の片隅に生きる人々を描き続けた漫画家・榎本由美さんが、急性呼吸不全のためこの世を去ったのです。
彼女の作品は決して派手ではありません。けれど、読む人の心をえぐり、
「これが現実なんだ」と痛みとともに気づかせてくれる力がありました。
本記事では、榎本由美さんの死因・プロフィール・学歴・経歴・結婚・子供など、
彼女の生涯と創作の背景をじっくり紐解きます。
【死因】急性呼吸不全──静かすぎる最期の報せ
榎本由美さんの訃報が明らかになったのは、2025年11月上旬。
息子さんが本人の公式SNSを通じて「母・榎本由美が急性呼吸不全のため永眠しました」と発表しました。
彼女は、2025年11月4日、享年60歳で永眠。
その知らせはファンの間に瞬く間に広がり、SNSには「まだ信じられない」「本当に突然すぎる」と悲嘆の声があふれました。
同業の漫画家・森園みるくさんも自身のブログで、
「榎本由美先生が急性呼吸不全で急逝されました」と報告。
業界関係者の多くが、その早すぎる別れに言葉を失ったといいます。
急性呼吸不全は、呼吸機能が急激に低下し、体が酸素を取り込めなくなる命に関わる症状です。
肺炎、アレルギー、心疾患、ストレスなど、原因は多岐にわたります。
榎本さんのSNSには、長期の闘病や体調不良を示す投稿は見られませんでした。
直前まで創作活動を行っていたことから、突然の発作的な呼吸障害が起きた可能性が高いと考えられています。
また、一部では「夫の死をきっかけに、心身のバランスを崩していたのでは」という見方もあります。
2024年に最愛の夫を亡くした彼女。
創作に打ち込みながらも、深い喪失感を抱えていたことは想像に難くありません。
【プロフィール】沈黙の中に“真実”を描く、静かなる表現者
- 名前:榎本 由美(えのもと・ゆみ)
- 出身地:福井県
- 生年月日:非公表(享年60歳)
- 職業:漫画家
- 活動期間:1986年〜2025年
- 主なジャンル:レディースコミック、社会派漫画、ヒューマンドラマ
- 代表作:
- 『サムタイム・サムシング』(デビュー作)
- 『児童養護施設の子どもたち』シリーズ
- 『壊れる家庭』
- 『養護施設を追われた少女』
- 『独裁者と籠の小鳥』
榎本由美さんは、単なる漫画家ではありませんでした。
彼女は“描くジャーナリスト”でもあり、社会の片隅で声を上げられない人々を物語にしてきた人です。
デビュー当初はレディースコミックの分野で注目され、
大人の女性の恋愛・官能・葛藤をテーマにした繊細なストーリーで人気を博しました。
しかし、彼女が真に評価されるようになったのは、社会問題を描き始めてからです。
現実の痛みを隠さず、弱者に寄り添いながら「それでも生きる力」を描く。
その静かな筆致は、どの作品にも一貫していました。
【学歴】非公表ながらも感じる、知性と社会へのまなざし
榎本由美さんの学歴は明らかにされていません。
しかし、作品の構成力や人物描写、社会問題に対する理解の深さを見る限り、
高い知性と豊かな教養を持っていたことは間違いありません。
特に『児童養護施設の子どもたち』シリーズでは、
実際の現場を取材したかのようなリアリティと心理描写の精密さが際立っています。
そのため、一部のファンの間では「文学部や美術系大学出身では?」と推測されていますが、
彼女自身は学歴を語ることなく、作品そのもので自分を表現してきました。
もしかすると、彼女にとって“学び”とは学校ではなく、
人生そのもの──現実を見つめ、人の痛みに触れることだったのかもしれません。
【経歴】時代とともに変化しながらも、芯はブレなかった40年
榎本由美さんの創作活動は、約40年に及びます。
その間、作風もテーマも大きく変化しながら、常に「現実」と向き合い続けてきました。
■ 1980年代:デビューと台頭
1986年、『サムタイム・サムシング』で漫画家デビュー。
当時はレディースコミック全盛期で、女性の生き方を描くことが新しい時代の潮流でした。
榎本さんも恋愛・官能・人間ドラマを中心に描きながら、
他の作家とは違う“心の奥底の痛み”を丁寧に表現する作風で注目されます。
■ 1990年代:社会派への片鱗
雑誌「ソニア」「Feel」「Hime」などで活躍。
愛と裏切り、孤独や母性など、女性の内面をリアルに掘り下げる物語が増加。
この頃から、単なる恋愛漫画ではない「人間の現実」を描く方向に舵を切っていきます。
■ 2000年代:テーマの転換
2000年代に入ると、彼女の関心は“社会”へと向かいました。
児童虐待、家庭崩壊、不妊治療、女性の貧困など──
誰もが目を背けがちな現実を漫画という形で伝え始めます。
■ 2010〜2020年代:電子配信時代の再ブレイク
電子書籍プラットフォームが普及すると、榎本さんの作品は再評価されます。
『児童養護施設の子どもたち』シリーズは、現代社会における児童問題を描いた名作として話題に。
さらに、『壊れる家庭』『愛のこどもたち』などでは、
「家族とは何か」「愛とは何か」を問うメッセージを届けました。
■ 晩年:創作の灯を絶やさず
2020年代も活動を続け、noteで未発表作品を公開。
2024年には不妊治療体験をテーマにしたブログを更新し、
“生きることを描く”姿勢を最後まで貫いていました。
【結婚相手】夫は会社員でパンクドラマー──人生の伴走者
榎本由美さんは、長年連れ添った夫と2024年に死別しています。
夫は会社勤めをしながら、パンクバンドのドラマーとしても活動していたという異色の経歴の持ち主。
森園みるくさんのブログによると、夫は壮絶な闘病の末に亡くなったそうです。
榎本さんはその時の心情をSNSで綴り、深い悲しみを抱えながらも
「描くことでしか、自分を保てなかった」と語っていたといいます。
夫婦は長い間、創作と生活を共にし、互いを支え合ってきました。
創作の裏側には、静かで確かな愛情があったことが伝わってきます。
【子供】息子がひとり、孫も誕生──次の世代へと受け継がれる想い
榎本由美さんには息子が一人います。
息子さんは結婚しており、榎本さんにはお孫さんも誕生しています。
彼女の訃報を公式SNSで発表したのも、この息子さんでした。
母の意志を継ぎ、ファンに対して丁寧に感謝の言葉を伝える姿が印象的でした。
榎本さんは生前、家族の存在を「支え」として度々語っており、
息子や孫の成長が創作の励みになっていたようです。
人生の晩年を迎えても、家族との絆を大切にし、
“家庭”というテーマを作品の中心に据えていたことは偶然ではないでしょう。
【まとめ】榎本由美という漫画家が遺した“現実の優しさ”
榎本由美さんの人生は、華やかさとは無縁でした。
しかし、静かに、誠実に、社会の片隅で生きる人々に光を当て続けた人です。
夫の死、社会の不条理、自身の苦悩──
そのすべてを糧にして描かれた作品たちは、今も多くの人に読み継がれています。
「現実は残酷だけど、だからこそ人は優しくなれる」
そんなメッセージを、榎本由美さんの作品は常に語りかけてきました。
彼女の筆が止まっても、その物語はこれからも誰かの心で生き続けます。
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