ならのはるをめざす旅

ならのはるをめざす旅
【後編】

峠の茶屋

峠の茶屋

「日本昔ばなしに出てきそうな佇まいで、
立ち寄るしかない存在なの(笑)」

石切峠の近くにある『峠の茶屋』は、昔も今も、滝坂の道を往来する人にとっての休憩所。創業190年とも言われる茶屋には、江戸時代の人が飲み代のカタに置いていったという槍や火縄銃があるそう。ずっと昔の人でも、"お金はないけれど酒は飲みたいんだ!"なんてチャーミングな部分があったのだと、親近感がわく。

峠の茶屋の名物はわらび餅。わらびの根っこからつくられた"わらび餅粉"と水で作るわらび餅は、峠の茶屋でずっと守られてきた伝統の味。食事をする場所は、峠の風が吹き抜ける気持ちいい縁側と、茶屋の向かいに最近増設された休憩所もある。

「何時代の建物? というくらいに古い日本昔ばなしに出てきそうな佇まいのお茶屋さんで、立ち寄らずにいられないの(笑)。名物のわらび餅は店主の手作りで、想像以上に美味しい! 滝坂の道の途中のちょうどいい場所にあって、昔の人も"もう少しで家に帰れる"と思いながら休憩をしたんだろうな。昔からずっと、癒しの場所だったのだなって感じました」

峠の茶屋

  • 住所:奈良県奈良市誓多林町57-3
  • 営業日:土・日曜 ※状況によって閉まっている場合もあります

柳生の里

柳生の里

「奈良の東には、
自然と共に暮らしている人たちがいる」

滝坂の道の長い森を抜けると、古い民家が残っている大柳生に出る。ここには、きっと多くの日本人が懐かしいと感じる里山の風景が残っている。広い道も民家の軒先を抜けるような狭い道もあるけれど、アスファルトの道が本当に歩きやすくてありがたい。

田植えを終えたばかりの田んぼ

大柳生には、大きな自然のなかで、小さいけれどずっと続いてきた尊い人の営みが感じられる。柳生の里に暮らしている人たちはおそらく、自然を守るという感覚ではなく、自然に守られながら暮らしてきた人たち。そんな暮らしが、この先も続くといいなと思いながら、剣豪の道を歩き、柳生の里へ。

「このあたりには、きっと自然と共に暮らしてきた人々がいると思って歩いてきました。その通り、古い家がところどころに残っていて、おじいさん・おばあさんたちが畑仕事をしているのが見えました。山に囲まれた田んぼは、ちょうど田植えを終えたばかりで、水面に緑が映えてきれい。
奈良は本当に長い歴史を持っている場所で、日本のなかでもすごく古くから人の営みがあった場所。今でもその営みが続いていることに感動しながら、歩きました」

芳徳寺

柳生新陰流の集中

「柳生新陰流の集中とは、一点ではなく全体を見ること。
仕事でも大切な考え方かもしれない。
一つの悩みに集中してしまわないように」

芳徳寺は、力尽くで敵を倒す殺人刀ではなく、敵の動きに随って無理なく勝つ活人剣『柳生新陰流』で知られる柳生家の菩提寺。隣接する史料室で柳生藩の史料が閲覧でき、柳生新陰流を深く知ることができる。寺の裏にある柳生一族の墓地は、紅葉の名所としても有名。

柳生の里を一望できる境内からの景色は、平和そのもの。大きく開けた縁側に座れば、目の隅々まで柳生の緑が広がる。すぅーと深呼吸をすれば、きっと普段では感じられないような開放感が得られる。芳徳寺住職と田淵三菜さんの対話は、この縁側で行われた。

芳徳寺住職と対話する田淵三菜さん

- 住職

柳生新陰流の根本にあるのは、人を殺さないという精神です。殺すか殺されるかという時代に、武道と禅が結びついたのですね。柳生は、人を傷つけないように、剣の練習をする木刀に皮の袋にくるんで修行をしていたんです。剣術以外にも、欲望で人を傷つけないように、禅の修行=心の修行をする場を作ったのが柳生新陰流です。

- 田淵三菜さん

人を殺すことのできる剣術を持っている。でも、それを使わないという抑止力を柳生家は持っていたのですね。
柳生の里と柳生街道を訪れて、長く続いてきた自然と、そこに寄り添ってきた人の営みを感じていました。住職のお話を聞いて、この自然の"平和さ"のようなものが、改めて心に染みています。私はこの自然を撮ることで、同時に心を豊かにしているのだと思います。

- 住職

心の豊かさを得るというのは、花や空、自然を見て、それを心のなかに入れることが必要です。心に病があると、全体を見て豊かさを感じる心がなくなるんですね。
最近の人たちは、よく集中力をつけたいと言われるのですが、柳生新陰流でいう集中とは、一つのものにこだわるのではなく、全体を見る心を養うことを言います。

- 田淵三菜さん

その考え方は、仕事や日々の悩み事への対処にも大切な考え方ですね。一つの仕事や悩みに集中すると全体が見えなくなるから。

芳徳禅寺

  • 住所:奈良県奈良市柳生下町445

天之石立神社・一刀石

天之石立神社・一刀石

「江戸時代の人は、この場所で剣の修行をしていた。
いいなぁって思う」

昼間でも暗さを感じるほど、深い深い木々の緑を体感できるのが、天之石立神社。この神社には本殿がなく、巨岩を神体として崇めるという祭祀のかたちをとっている。鳥居をくぐって足を踏み入れると、木が主役の世界に迷い込んだ感覚になるほど、その自然は問答無用の存在感で私たちを包み込む。昔の人たちは、この圧倒的な自然に神さまを見ていたというのも納得できる。敬虔な気持ちで木々と巨岩を仰ぎ見ると、自然はずっと前からそこにあり、私たち人間は、そこに少しだけ入らせてもらっているのだということに気づかされる。

どうしてこんなに大きな石が真っ二つに割れているのだろう?

天之石立神社の境内にある『一刀石』は、幅7メートル・高さ2メートルの花崗岩で、真ん中から斜め一直線に割れている巨石。柳生新陰流の開祖である柳生宗厳が天狗を相手に剣術修行をし、ある夜に天狗を一刀で切ったとたんに天狗が消え、石が2つに割れたという伝説が残っている。

「最初は一刀石を撮ろうと思っていろんな角度を試したけれど、自分の見たままには映らなかった。それよりも、一刀石の周りにある自然や天之石立神社を撮って風景を拾い集めることで、一刀石を目の当たりにした経験を深く記憶することにしました。
どうしてこんなに大きな石が真っ二つに割れているのだろう? その不思議さにパワーを感じます。江戸時代の柳生新陰流の門徒たちは、そのパワーを感じながら修行をしていた。そんな経験ができて、いいなって思う。
今回の旅は、私が想像できる範囲より、もっとずっと昔からある自然を感じていました。長い歴史のなかで、弱いものは淘汰されてきたのだと思います。今日まで続いているということは、そこに必ず理由がある。この旅の写真は、厳選されて残った豊かな自然と人の暮らしを感じながら撮ってきました。旅を終えて、これから写真を見返すのが、とても楽しみです」

天之石立神社

  • 住所:奈良市柳生町789

「田淵三菜が撮り下ろした写真」